Dear Chameleon from Y

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Dear Chameleon,

1.

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わたしは、本質的なものにしか興味のもてない人間です。そして、本質的なものは自由でなければなりません。自由を奪われるということは、本質から遠ざかるということと等価なのです。ところで、言葉はわたしを自由にしたのでしょうか。それともわたしから自由を奪ったのでしょうか。このアポリアから一刻も早く抜け出そうともがいてみるものの、月に訪れた春を想像してみることはわたしの身体に一時の安らぎを与えることすらできないのです。

2.

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グーテンベルクがしたことは、身体を空間から解放してみせることと等価だったのかもしれません。ところかまわず迫りくる空間の介入にきっぱりと否を突き付け、その介入の記憶を無意識へと追いやり、そして、既にキレイなものをさらに磨くことだけが人間の役目になってしまいました。デコボコやざらざらから湧き上がるものは、わたしたちが幼いころに別れを告げたはずのものであるかもしれない、と期待に胸が躍るのも無理はないと弁解しておかねばなりません。

3.

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中心が必要だ、と最初に言った人は、ドーナツに謝った方が良いでしょう。ドーナツは、中心が無いのではありません。ただ、そこに、境界がある、それだけです。わたしは、あらゆる部分が辺境であるようなそれに対して、少なからぬ感動を覚えます。そしてあらゆる物語が、あらゆる生命が、あらゆる情報が、自分の皮膚のすこし外側の部分に滞留しているということを知って、その境目にあいているかもしれない小さな穴から聞こえるであろう悪魔のかすかな声に、耳を傾けてみようとしてみるのです。

4.


ゆれているロープには何が吊り下がっていますか。ハンモックですか、それとも、天井ですか。わたしがハンモックの網目から世界を覗くとき、あらゆる内と外は高速で反転を繰り返し、範疇も計算も、演繹も記号も、距離も焦点も、すべては空間が演じてみせたポイエーシスとして了解されるという希望が立ち現れます。それは、網目に絡めとられている不自由こそ究極の自由であるという僅かな望みをわたしに思い出させてくれるでしょう。そういう望みが、ロープからぶら下がっているのです。

5.


寝室の本棚にある本たちが旅をしたいと望むならば、わたしは彼らにいくらかの餞別をおくることも吝かではありません。アレクサンドリアに集められた本たちも、最初はきっとそうやって旅に出たのです。その旅に必要なのは、地図でしょうか、コンパスでしょうか、あるいは、あなたはその両方とも不要だと言うでしょうか。すべての感覚が闇の中でひとつに溶けるのであれば、今夜わたしが見る夢はヘレニズムの王たちが見た夢の何倍も野心に溢れたものとなるに違いありません。

6.


あらゆる感覚によってわたしはこの世のすべてと接続されていて、その記憶は様々なスケールの劇場となっていつでもわたしを迎え入れてくれます。プロセニアム・アーチの奥にゆれる影はきっとウィトルウィウスの亡霊で、シェイクスピアも世阿弥も、ライプニッツもマラルメも、流出する知と上昇する魂の煌きに幾度となくため息をついたことでしょう。わたしがバラバラに引き裂かれても、誰かがタブローの中の存在としてのわたしを再び想起してくれるのならば、わたしはあらゆる過剰を引き受ける準備があります。

Sincerely,

chameleon from Y mono

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