十應篇#006『音楽の基礎』

投稿日:

20160816 R.Yoshino

芥川也寸志
『音楽の基礎』
岩波書店、1971

最近その講義が書籍化されたようだが、駒場時代の師・小林康夫先生の西洋絵画史は、観察した自然をありのままに表現する技法としてのパースペクティヴ(遠近法、透視図法)が発明された時代からレクチャーが始まった。13世紀から15世紀、人物にすると、ジョットからブルネレスキ、ダ・ヴィンチに至る時代、パースペクティヴという技法がカンバスに奥行きを与え、タブローの中にもうひとつの世界を成立せしめた。イコンではなく、自然の表象としての絵画の成立、である。

少々乱暴な言い方になるかもしれないが、西洋音楽史における記譜法(五線)が、絵画史におけるパースペクティヴと同様に位置づけられるということに対して、我々はもう少し意識的になっても良い気がする。音の高さと長さという2つの軸で客観的な記述を可能とし、音楽というメディアの可能性と普遍性を高めたという点において、あの輝かしい西洋音楽の歴史にあの記譜法は不可欠であったはずだ。近代的な記譜法の源流は10世紀にまで遡ることができるらしいが、その確立は15世紀前後と言われており、その点でもパースペクティヴとの符合を感じる。

近代的な記譜法が優れているところは、音楽の通時的な見通し(ヨコの流れ、旋律的な軸)と共時的な見通し(タテの揃い、和声的な軸)を同時に把握することを可能にした点だ。ザックリ言えば、モノフォニーがポリフォニーとなり、ポリフォニーから和声音楽が生まれたわけだが、それは、この記譜法がヨコとタテの自由な転換を可能にしたからであろう。ひとつの音が、経糸と緯糸の結節点として存在しているという意識無しには、バッハは誕生しなかったに違いない。そしてそのバッハが、平均律という発想をもち込んだことが、西洋音楽史、とりわけ調性音楽の歴史においては決定的なことであった。記譜法、和声、平均律、調性。バッハ以降の歴史は、これらを巡って作曲家が各々「注釈」を付け続けた歴史なのだ。

近代社会が成熟しきった頃、パースペクティヴはもはや、乗り越えられるべき対象として見られるようになった。記譜法についても同じことが言えるのではあるまいか。確かに、記譜法自体をドビュッシーやシェーンベルクが破壊するということは無かった。しかし、和声や調性、リズムといった概念を問い直すことは、この記譜法が生み出してきたシステムそのものを問い直すということである。印象派音楽や十二音技法は、従来の記譜法を使用していながら、それに対してある種の「否」も唱えていたというわけだ。

『音楽の基礎』と題された本書は、対位法やソナタ形式といった西洋音楽の概念を中心に紹介するものではあるが、それでいて、そうしたシステムを根本から問い直すヒントに満ちている。そのことは、目次を開けばすぐにわかるはずだ。最初の章のタイトルが「静寂」なのだから。

 

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