十應篇#009『神様』

投稿日:

20160913 R.Yoshino

川上弘美
『神様』
中央公論新社、2001

橋姫の伝説は、日本のいたるところに残されているらしい。伝承の内容はそれぞれの地で色々なヴァリエーションがあるが、橋姫のいる橋に「境界」の意味が付与されているという点では概ね共通するようだ。鬼や神のような人知を越えた存在として描かれることもある橋姫は、境界を守護するものであり、境界の内側の領域に何らかの秩序をもたらす。

気配屋のS.Kawanoが進めている三題噺は、与えられた3つのお題をもとに短期間で超短編を書くというある種のエチュードであるが、いまのところ公開されている9つの物語には、かならず「橋姫」的存在が登場する。そしてそれらは、いつも人知を越えた存在として描かれる。第1回目の半獣始まり、ヒレを持つ謎の生物や、既にお馴染みとなりつつあるカメレオンなど、彼女が描く現世と異界との間の境界には、こうした「橋姫」が必ず現れるのである。第8回目のここなちゃんは確かに人間なのかもしれないが、やはり最後には幼い子供だということが明らかになる。子供というのもまた、人知を越えた存在であることに変わりがない。

ところで、橋姫は何と何の境界を守っていたのだろう。ひとつにはもちろん、橋によって隔てられる2つの領域の境界を守り、その一方もしくは両方の領域に安定をもたらすということがある。しかし、その境界は多義的なものなのではないか。村と村の境界でもあり、この世とあの世の境界でもあり、人間と非人間の境界でもあり、ともすれば、物質と精神の境界、理性と感性の境界、伝統と前衛の境界、なんかにもなりうる。境界とはつねに複合的で多声的であるのだし、逆に、そうした様々な位相が交差するところに境界ができるとも言える。橋姫がいる境界とは、そういうところである。

そういえば、小説という装置自体が境界的だ。物語の世界とこの世を隔てているし、それは先に述べたような様々な境界が重なりあっている。小説家は橋姫なのだと言えるのかもしれない。Kawano姫の本当の姿が姫なのか鬼なのか神なのかはわからないが、この姫の描き出す世界はつねにふたつの世界のあわいにあり、それらを強く対比させることなしに、読者を別の場所へと連れていってくれる。知らず知らずのうちに夢と現が入れ替わり、過去と未来は反転する。境界の「神様」だけがなせる業である。

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