十應篇#014『わたしは花火師です―フーコーは語る』

投稿日:

20170424 R.Yoshino

ミシェル・フーコー(中山元訳)
『わたしは花火師です―フーコーは語る』
筑摩書房、2008

最近、フーコー『わたしは花火師です』を巡って議論をする機会があったので、やや季節外れではあるが、花火について少しメモを残しておこうと思う。と言っても、打ちあがる花火そのものというより、花火という言葉から出発してみたい。

そもそも日本語の「花火」は、夜空に輝く火の粉を花に喩えたメタファーである。その字面からは、江戸時代の両国花火に代表されるような、近世以降の都市のハレを担ってきた盛り場における風物詩としての花火のイメージが立ち上がる。一方、フランス語における花火はfeu d’artificeという。feuは「火」、artificeは「仕掛け」とか「工夫」とかいう意味があるから、日本語のような視覚に基づくメタファーではなく、その束の間の煌きが人の手によって仕組まれたものであるということに力点が置かれている(もちろん、artificeはartificiel(人工的な)と類縁関係にある語であり、なによりars(技術=芸術)という語源を共有していることは指摘するまでもない)。

ここで面白いのは、artificeという語が、「罠」とか「トリック」といったニュアンスを持っていることである。おそらく近代的な花火は、都市の夜空を彩るars技術=芸術として、ある種の不気味さを伴って人々の前に現れたのであろう。人工的に作られた火の粉が夜空に炸裂したとき、人々は今まで見ることのできなかった「夜」を目撃することとなる。フランス、とりわけパリにおいて、近代科学がもたらした人工光が人々を魅了しつつも都市の暗部や矛盾を照らし出したように、人工的な花火もまた、その美しさと不気味さとが不可分な関係にあったのではなかろうか。例えば、現代のパリで唯一打上げ花火を見られるパリ祭は、バスティーユ監獄襲撃を記念するものでもあるというおどろおどろしさを孕んでいるし、モデルニテのパリで活躍したドビュッシーとストラヴィンスキーがそれぞれ遺した「花火」は、不気味であるがゆえの魅力を刹那的な調べに託した曲だ。

そしてフーコーである。フーコーは、初期の仕事を振り返りながら「わたしは花火師です」と語ったが、彼の初期の仕事とはまさしく、「狂気」のような魅力と不気味さという両義性を持ったものの歴史性を紐解くことであった(例えば『狂気の歴史』では、中世およびルネサンスおける狂気が、世界終末の脅威であると同時に、人々を何よりも魅了するものであったことが示される)。近代社会に隠蔽された歴史性を再構築しながらも、自ら歴史家たることを拒んだ花火師フーコーにとって、狂気や臨床医学といった研究対象こそが花火のようなものであり、また彼は、その成果をまとめた自著が花火となることを望んでいたのである。そして、誤解を恐れずに言えば、フーコーのテーマはこの頃から人工artificielということに深く関係している。それはのちに生権力や生政治という術語へと結実するわけだが、人の手による制度や権力が我々ひとりひとりの生を規定するというフーコーのテーゼそれ自体が、おどろおどろしくも魅力的な「花火」なのである。

…というようなことを駒場の1,2年生と話したのだが、今思えば勇み足な部分も多かったので、自戒を込めつつこちらに書き残しておくことにする。

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