終演するモノクロ喜怒哀楽

東京・明大前――半世紀以上にわたり数々の表現者の揺りかごであり続けたKID AILACK ART HALL(キッド・アイラック・アート・ホール)が、2016年の末に幕を下ろす。その過去を照らしだし、終演を見届けるべく、我々は取材を始めた。以下の記事はその喜怒哀楽的諸相を示している。その空間は、時間は、人間は、いかなるものであったのか。

 

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<最新の記事>

#18 橋本さんインタビュー Vol.4 20161125

「早川くんは、たぶん、努力家なんだろうな、そこが似ている。僕は、生まれ持った天才ではないけれど、努力は嫌いじゃない。彼もそうだと思う。何かで話をすると、次の時に、これですよね、って反応が返ってくる。…続きを読む

#17 橋本さんインタビュー Vol.3 20161118

語気を強める橋本さんの語り口は、窪島さんや渡部さんのそれとは似ても似つかない。40年代に生まれた彼らがキッドにいたのはもう半世紀も昔のことで、当然のことだけれども、彼らにとってキッドはノスタルジックに色褪せたイメージのなかの場に過ぎない。…続きを読む

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#16 橋本さんインタビュー Vol.2 20161111

「キッドは明らかにこの4年間で変わっていった。事実、4年前に僕が来たとき、キッドのスケジュールは一切埋まっていませんでした。昔から使っていた人たちの好きなようにできる『都合のいい』場所として『使われている』ような印象。見てろよ、絶対変えて、お前ら追い出してやっからなと思って、俺はここを使い始めました。…続きを読む

#15 橋本さんインタビュー Vol.1 20161104

「アトリエ」へと続く裏口に案内されて、私は息を呑んだ。屋根こそあれど吹きさらし同然の裏口に、動物や人物の木彫がいくつも無造作に並べられている。その厳めしい日本家屋は相当古いに違いなかったが、これまでの住人や客人の気配が年老いた木造建築を若々しく清めていた。…続きを読む

#14 渡部洪氏インタビュー付論 20160930

彼の顔を思い出せない。彼の声が思い出せない。名前はどうやら覚えている。渡部洪。あの喫茶店のことも思い出せる。肩に吹きつける冷房、舌を焼くコーヒー、吸い殻の積もった灰皿。…続きを読む

#13 渡部洪氏インタビューVol.2 20160923

渡部氏がキッド・アイラック・ホールで連続公演を行った1年のあいだ、渡部氏にとっての窪島氏はレンタルスペースのオーナーに過ぎなかったが、窪島氏にとっての渡部氏はそれ以上の存在だったのかもしれない。…続きを読む

#12 渡部洪氏インタビューVol.1 20160916

今回会場となったカフェ「ゆりあぺるぺむ」の床は、何十年もワックスをかけ続けたためか、独特の光沢を放っている。キッド・アイラック・ホールが度重なる増改築や移転を繰り返してきたのとは対照的に、ライブハウス「曼荼羅」やカフェ「ゆりあぺるぺむ」は同じ場所で時を重ねていた…続きを読む

#11 「キッドプロジェクト」はキッドの外へ―Hors-d’oeuvre 20160909

演劇は、他の芸術と同じく、あるいはそれ以上に、イメージの権利を認める芸術だと言うことは可能だろう。しかしだからといって、演劇における身体は、日常的な所作に比べて、ちょうど事物に対するイメージのようなものであるわけではない…続きを読む

#10 館長窪島誠一郎氏インタビュー VOL.4 20160902

「キッド・アイラック・ホールは心肺停止なの」今も館長を務める窪島誠一郎氏が自ら決断したキッド・アイラック・アート・ホールの閉館。開業以来半世紀以上に渡って受け継がれてきた炎が、途絶えようとしている。…続きを読む

 #09 館長窪島誠一郎氏インタビュー VOL.3 20160826

「坂田明や坂本龍一はうちのアジフライを食べているはずです。水木一郎さんが手伝ってくれたり、松原町の北杜夫先生が来てくれたり。確か16歳くらいの関根恵子さんもお客さんでした。…続きを読む

#08  チーフ早川誠司氏インタビュー VOL.4 20160819

私たちが主張するのは、「語り」は今ここで語るものと埋もれてしまったもの、今ここで語る存在と事実が一致しないからこそ、両者の間に分離不可能な分割があるからこそ、「語り」が存在することができるということである…続きを読む

#07  チーフ早川誠司氏インタビュー VOL.3 20160812

私たちのこのプロジェクトは、いわば「語り」に対する終わりのない注釈である。これ以外のやり方はないように思われた。もっとも、「語り」にはその本質的な部分として空白が伴っている…続きを読む

 #06  「窪島誠一郎氏インタビュー」付論―芸術家の生Vol.1  20160805

人間には二つの異なる傾向がある。ある人間は、世俗的な世界を冷めた目で見つめながら、そして同時に、世俗的な世界の中にその裏面のごとく「夢想家たる個的な自己」の異常を導入しながら、この世界の内奥に存在している。…続きを読む

 #05  チーフ早川誠司氏インタビューVOL.2  20160729

早川氏がチーフになってからは裁量が大きくなり、例えば、料金設定も変えた。「表現者ひとりひとりと向き合って、単一の料金設定に縛られず、表現者とともに舞台を作り上げていくようにした」。彼の表現者への真摯な姿勢と仕事への情熱があってこそ、表現者がやってくるのだ。…続きを読む

 #04   チーフ早川誠司氏インタビューVOL.1   20160722

2016年4月20日、キッドの終幕が決まって1カ月ほど経った頃、私たちはチーフの早川誠司氏を訪ねた。キッド・アイラック・アート・ホール3階のギャラリーに小さな机を置いて、私たちは氏と膝を交えて、数時間にわたって話を伺った。 …続きを読む

 #03 館長窪島誠一郎氏インタビューVol.2 20160715

明大前という場所なくして夢想家窪島誠一郎が誕生しなかったのと同様、あの時代でなければやはり夢想家窪島誠一郎は生まれなかったかもしれない。あの時代とはまさしく、東京一面の焼け野原と共にスタートした、あの時代、である。 …続きを読む

#02 館長窪島誠一郎氏インタビューVol.1 20160708

2016年5月22日、ホテルニューグランドの一室、伝統的なしつらえを持つ旧館の厳かな光のなかで氏はおもむろに口を開いた。「キッド・アイラックは、1964年にできて以来、いわば自分の臓器のひとつなんですよ。ちょっとカッコよく言うと、母の胎内」  …続きを読む

#01 プロジェクトのための宣言文 20160701

キッド・アイラック・アート・ホールに桟敷席は無い。表現者と観客は常に同一空間で視線を交わしあっている。そこに踏み込んだら最後、誰もが多かれ少なかれ表現者である。 …続きを読む

presented by 気配屋<終演するモノクロ喜怒哀楽project>チーム

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