プロジェクトのための宣言文

投稿日:

20160701 S.Kawano

キッドアイラック・アートホール02

キッド・アイラック・アート・ホールに桟敷席は無い。表現者と観客は常に同一空間で視線を交わしあっている。そこに踏み込んだら最後、誰もが多かれ少なかれ表現者である。どれだけ注意深い見物人も、いつのまにか物語に組み込まれている。よく考えてみれば、物語はいつでも無数に存在した。誰かにとっての喜劇は誰かにとっての悲劇だった。結局のところ、仮に限りなく精密で詳細な脚本が書かれえたとしても、それを隈なく読める役者などひとりとして存在せず、従ってそのような脚本は書かれなかったに等しい。

そこは明らかに劇場であり、同時にドラマそれ自体であった。そこではフィクションとリアルが循環していた。ファントムはオペラ座の地下で戯曲を書き続けていた。長い長い戯曲だった。彼は書いたそばからそれを演じ、演じながら次の幕を構想した。戯曲があまりに長すぎるために、ファントムはその劇場の場所を忘却してしまった――それはパリだったか――ウェストエンドか、ブロードウェイか――あるいは東洋の島国のいずこか? 物語は長いばかりでなく、幾重にもよじれてしまって、始めも終わりも見えない。物語の前半を破り捨ててしまった方がいいかもしれない、とファントムは唇を噛む。しかしながらその不整合にこそ彼自身を虜にした物語の魅力が潜んでいた。それに、背後ではあまたの若き芸術家たちが虎視眈々と好機を狙っているのを、彼が忘れてしまったわけではなかった。

劇場の巨大なシャンデリアは錆びついていた。しかしその埃を払い、銀の黒ずみを落とし、歯車に油を差した者がいた。これはファントムの筋書きとは異なる展開だった。何ら不思議なことではない、ファントムの書き損ねた台詞、脚本の隙間にこそ、脚本の規定しなかった物語が広がっているのだから。誰かがシャンデリアの蝋燭を差し替え、細いマッチを何本も擦って、少しずつ劇場に明かりを灯していった――隙間風が執拗に焰をなぶるのにも臆せずに。多くの立役者がかげながら劇場に集まった――楽団や踊り子、画家に彫刻家、詩人、朗読家――彼らの独自の脚本はファントムの原稿と相互作用を起こし、オペラ座の物語はさらに彼の手を離れてよじれ続けていく。原稿用紙は尽きかけているのに喜劇と悲劇は交錯しながら無限に展開し、どれだけページを捲っても終着点は依然として遠い。

ファントムは匙を投げて筆を置いた。シャンデリアはあと少しで燦然と小さな劇場を照らし出すはずだったが、遂に間に合わなかった。もう終わりだ。怪人は指を鳴らし、強い風が吹いて蝋燭は光を失い、無数の脚本が乱れ飛び、シャンデリアは舞台に向かって落下する。我々は桟敷席からそれを眺めたかったのかもしれない。舞台の壮麗な終演をスポットライトで照らし出したかったのかもしれない。しかし実のところ、この場所では桟敷席とは舞台そのものであった。風圧で蝋燭の焔が次々に消滅しながら迫ってくる様を我々は下から眺めていた。同じ舞台では無数の役者たちがなおも華やかな表現を繰り広げている。悲喜劇の舞台が暗転しゆく中で、我々はサーチライトを懸命に覚束なく用いながら、散らばった紙片を部分的に照らすことしかできなかった。照らすたびに照らされなかった物語の存在を確信し続けるのが、唯一残された手法だった。しかしながら、光を強めるほどに影は黒さを増し、言葉は矛盾を重ね、色彩は白飛びする――。

キッドアイラック・アートホール01

#02 館長窪島誠一郎氏インタビューVol.1

presented by 気配屋<終演するモノクロ喜怒哀楽project>チーム

 

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