チーフ早川誠司氏インタビューVol.1

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20160722 N.Nishida

2016年4月20日、キッドの終幕が決まって1カ月ほど経った頃、私たちはチーフの早川誠司氏を訪ねた。キッド・アイラック・アート・ホール3階のギャラリーに小さな机を置いて、私たちは氏と膝を交えて、数時間にわたって話を伺った。

 

早川誠司氏プロフィール

山梨県甲州市出身。1996年よりキッド・アイラック・アート・ホール&ギャラリーに勤務し、現在チーフディレクターとして、キッドの運営管理に加えて、舞台や美術展の裏方、ステージ照明などにも携わる。

 

このインタヴューについて書き始める前に、インタヴューの終盤、偶然ギャラリーを通りかかった橋本拓也氏が私たちに残してくださった言葉を引用しておきたい。この言葉は、キッドプロジェクトを始めるにあたって、私たちを大いに勇気づけることになった。

― 橋本氏(Dancer、彫刻家)は疑問を感じている。50年の歴史があるにもかかわらず、キッドの歴史をまとめた媒体がない。彼がキッドでパフォーマンスし始めてから4年がたつが、キッドの運営にかかわる人たちとの関係の密度は、昔からキッドでパフォーマンスをやっている人と変わりがない。たとえそれが、新参者でも、新たな取り組みをする人でも、早川さんたちの対応の仕方は全く一緒。俺が思うに、表現者と早川さんたちは50/50の関係であって、お互いに自立しつつ支えあっていくべき。しかし、過去の表現者たちは、キッドに頼りすぎていた面があるのではないか。いま、表現者の間で(キッドを助けようとする)活動が起こらないのはそういうことなんじゃないか。…キッドは表現者にとって必要な空間だったから、どんな状況でも今まで存続し、50周年という区切りはパスした。50年という切れ目をパスしたのは相当の覚悟があったはずだ。それでも、ここでキッドが終わるのは予測できたはずだろう。そうなってきたときに、劇場でパフォーマンスしてきた人たち、キッドが終わることが予測できた人たちが、なにかできることがあったんじゃないか。事前に行動を起こすべきだったのに、それは行われていない。それに、キッドの長い歴史が、いまキッドにかかわっている人たちによって、もっと前からまとめられなくちゃいけなかった。だから、「キッドが終わるってことに、何かを感じている人たちがいるってこと。それをもっと広めるべきなんじゃないか」……

 

「キッド・アイラック―間に合わなかったことと続いていくもの」

 

早川氏は仕事を探すとき、自分がやりたいことを考えて、絵を描くこと、美術にかんすることが一番好きということに気付いた。小さい頃に親に連れられて行った山梨県立美術館(ミレーの美術館)で受けた衝撃は今でも持ち続けている。それは確か小学生の時だったが、結局それがキッドに携わるきっかけになった。もう20年も前になる。その頃のキッドはまだ甲州街道沿いにあって、1階がギャラリー、2階がホールで、カフェはなかった。当時の僕の仕事は、仕込み、ばらし、スケジュール管理、雑務など。アルバイトだった頃から、ほとんど毎日キッドに来ていた。夜間部の学生をやりながら、昼間にキッドで働いていて、「まあ、夜も来てたけどね」。その頃は、南さん(当時のチーフ)がいたんだけど、『信濃デッサン館出版部』が東松原にあって、南さんはそっちに行くことが多くて、だから、本当に分からないことだらけで、叱られつつ試行錯誤の毎日。それに初めの時給はたったの500円。最低賃金を割っていた。「仕事って大変だなと思っていたよ。でも、続けて来られたのは、面白かったから。ここに集まる人、表現者の方々からいろんな刺激をもらっていた。」

当時のキッドが化石のようだったとはどういうことだろうか―。

館長(窪島誠一郎氏)だってここにすべてを注いでいたわけではない。他にいろんなことをやっていて、キッドは取り残されていた。…キッドが建て替わる前はもっと広かった。90年代は、少し前に小劇場ブームがあり、その残り火があった時代。ホールを借りたいっていう人はいっぱいいた。しかし、2002年の建て替えを経てキッドが狭くなった一方で、値段設定は同じままだった。その結果、ここはペイできないホールになってしまった。つまり、満席になっても採算が取れないホール。さらに、このホールは、やりたい人がいればすぐに使えるわけではなかった。館長がやりたいこととの兼ね合いもあったし、気骨のないアーティストがここでやるのは難しかった。「それじゃあホールは回らないよね」。昔からここを使っている人たちと作っていこうというスタンスだったけど、採算が取れない状態がずっと続いていたんだ。実は、南さんがいた時代は、『キッド』『出版部』『信濃デッサン館』『無言館』がひとつの組織で動いていて、その中でキッドを回していた。しかし、キッドが本社としてお金を借りたり、新しいものが作られたりする過程で、組織は分裂し、「キッドがどんどん整理されていった。ここは取り残されてしまったんだ」。(Vol.2へ続く)

 

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presented by 気配屋<終演するモノクロ喜怒哀楽project>チーム

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