チーフ早川誠司氏インタビューVol.2

投稿日:

20160729 N.Nishida

前回の記事(「チーフ早川誠司氏インタビューVol.1」)に続けて、早川氏のインタヴューについて書いていく。

 

早川氏がチーフになってからは裁量が大きくなり、例えば、料金設定も変えた。「表現者ひとりひとりと向き合って、単一の料金設定に縛られず、表現者とともに舞台を作り上げていくようにした」。

彼の表現者への真摯な姿勢と仕事への情熱があってこそ、表現者がやってくるのだ。

「僕が指揮をとりはじめたのは、本当にここ数年のことなんだ。当時は、化石のようなキッドだった。言ってしまえば、なんかね、風通しもあまりよくないし、全然生き生きとしていなかった。昔から使っている人もいるんだけど、なんかどこかね…それだけじゃね。本当にここからだったんだけどね、間に合わなかったな。風通しもよくなって、いろんな人が協力してくれ始めていたんだけど。今後ここでやっていくことはできないのかな。」彼は悔しさを滲ませる。

 

「館長もくやしいとは思うよ」。それでも、閉館を決定したのは館長である。館長は彼の人生の本を書いていくうえで、もうだいぶ最後の方にさしかかっていて、それをもうそろそろ書き終えようとしている。館長が人生を共にしてきたキッドを、人生の後に残したくないのかもしれない。「実際、館長がやり始めた時は、芸術家たちに理想の場所をとか、いろいろ熱量があったけれど、今は、単にここでなにかをというのは、現場スタッフが中心となって回しているというか…。館長は今時ではない特別な経営者なのかもしれない…。もうちょっとなにか、キッド・アイラックを残そうと前々から動いていれば、こんな風にはきっとならなかった。先に手を打つことはできたはず」。しかし、彼はそれをやらなかった。

キッドは閉館する。するけれども、早川氏は今、悲しむよりもその後何をやっていくか、それを考えている。「終わりを気遣い、心配し、いろいろアドバイスくれる人もいる。でもね、どうしようかはまだ迷っている」。彼は今まで、自分で決めてきたし、これからもきっとそうだろう。

「キッドがこのままではだめだとはずっと思っていた。だからいろんなものを変えてやってきたのだけど、間に合わなかったんだね…。やり残したことはかなりある。それを続けていきたい。」

例えば、橋本拓也氏との「1カ月公演」。小さな劇場でロングラン公演をやることが早川氏の夢で、両氏はずっと前からそれを約束していた。「やり残したことは続けていきたい。」

 

―したがって、私たちが思うに、「悔しさ」のうちにあらわになっているのは、まさしく、この事態から逃れて自分自身の状況を変えることの根本的な不可能性と、自己自身への自己の容赦ない現前である。つまり、悔しがることが意味するのは、自分が引き受けることのできないもののもとに引き渡されることを、まさにその自分がありありと感じることである。言い換えれば、悔しさの主体性の形式は、構造的に、純粋に受動的な極(既になされた決定には従うしかないチーフ)と能動的な極(今ここで「終わり」を語るチーフ)に分裂しているのである。そして、そこでは、二つの極は区別されるとともに交じりあっているのである。このために主体性は自らの語り主体であると同時に「外への運動」でもあるという形態を持っているのであり、このために、それはその本質においては、悔しさなのである。悔し涙とは、あらゆる主体化において外をあらわにし、あらゆる「外への運動」おいて主体について語るところの、その残りのものにほかならない。(Vol.3へ続く)

 

#04チーフ早川誠司氏インタビューVol.1< >#06 「窪島誠一郎氏インタビュー」付論―芸術家の生Vol.1 

presented by 気配屋<終演するモノクロ喜怒哀楽project>チーム

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