チーフ早川誠司氏インタビュー Vol.3

投稿日:

2016/08/12 N.Nishida

前回の記事(「チーフ早川誠司氏インタビュー Vol.2」)を受けて、「キッド・アイラックの終わり」をめぐる「語り」がいかにして可能かを考えていく。

私たちのこのプロジェクトは、いわば「語り」に対する終わりのない注釈である。これ以外のやり方はないように思われた。もっとも、「語り」にはその本質的な部分として空白が伴っているということ、すなわち、今語るものたちは、語りえないものについて語っているのだということがある時点で明らかになったので、彼らの「語り」について注釈することは、必然的に、その空白について問うことを意味するようになった。あるいはむしろ、その空白に耳を傾けようとすることを意味するようになった。空白に耳を傾けることは、私たちには無駄な労力とはおもわれなかった。それはなによりもまず、キッド・アイラック・アート・ホール&ギャラリーの「余命宣告」の以後に、「包括的な語り」の名を自称してしまうような物語を作るという誘惑とは縁を切ることを私たちに強いた。

早川氏は以下のように語る。「大きな存在には、必ず陰で支える人間がいるということ。『キッド・アイラック・アート・ホール』も、『信濃デッサン館』も『無言館』も、そこにはいろんな陰の人がいっぱいいる。表には出ないけれど、館長を支えてきた人とか、現場を支えてきた人。…キッドの52年の歴史を語るうえで、キーパーソンは南さん、僕のかつての上司だった人。しかし、もう亡くなってしまった南さん本人からは、何も聞くことはできない。そこに空白の時間があり、館長でも語りえないでしょう。館長は当時、『信濃デッサン館』をつくり、『無言館』をつくり、信州上田にいることが多くなって、キッドの現場は把握しきれなかったんじゃないかなぁ。」

このプロジェクトで得られるあらゆる「語り」の内には、空白がある。語り部たちは定義上、今ここで語るものたちであり、かつてキッドに、多かれ少なかれかかわってきた人々の運命については、誰も語っていない。その体験をしていないものたちは、それが何だったのかを知るすべはない。過去はそれらに属している。

「キッドの陰の面も明るみに出せるなら出していっちゃったほうがいいと思う。いままでは、館長の発信するものはすごく影響力が大きかったんだけど、でもそうではない視点、いろんな側面があって、この『終わる』ってことに対して、また館長だけの視点で語って終わるのであれば、…そういうものでなくてもいいんじゃないかなと思う。そういうのもあってキドアイラクのような気がする。…キッドの真実をここに残すのであれば、その場その場にいた現場の人の声がなければ、フィクションな気がしちゃうな。物語でおしまい。」

私たち、今ここで語るものは、本当の語り部ではない。私たちは、僅かな少数者であるだけでなく、今表舞台に立つことのできる例外的な少数者である。「その場その場にいた」ものは、戻ってきて語ることはなかった。しかし、それらなしには、私たちは「完璧な語り」となることができず、事実を網羅した「語り」ができるはずもない。それだけではない。埋もれてしまったものたちは、たとえ紙とペンを持っていたとしても語ることはないだろう。私たちは、それらの代わりに、代理として語っているのである。

しかし、このことが意味するのは、今の人間は、「なくなってしまった事柄」に声を貸し与えるものであるということである。すなわち、そこでは、言葉をもたないものが話すものに話させているのであり、話すものはその自分の言葉そのものの中に話すことの不可能性を持ち運んでくるのである。こうして言葉を持たないものと話すものは「語り」において無差別の地帯に入り込む。そして、その場所では主体の位置を割り当てることは不可能なのであり、真の「語り」を突き止めることは不可能なのである。しかし、思い出や記憶と人間を一つに結合するこの不可能性は、実は「語り」を可能にするものに他ならないのだ。今の生を生きている存在と記憶の間に結合がないのであれば、自我がこの隔たりのうちに宙づりになっているのであれば、その時には「語り」は存在することができるのだ。(Vol.4へ続く)

 

#06 「窪島誠一郎氏インタビュー」付論―芸術家の生Vol.1 < >#08チーフ早川誠司氏インタビューVol.4

presented by 気配屋<終演するモノクロ喜怒哀楽project>チーム

projectトップへ戻るトップへ戻る

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です