チーフ早川誠司氏インタビューVol.4

投稿日:

20160819 N.Nishida

前回の記事(「チーフ早川誠司氏インタビューVol.3」)に引き続いて、「キッド・アイラックの終わり」における「語り」と「表現」について、考察の歩みを進めていきたい。

私たちが主張するのは、「語り」は今ここで語るものと埋もれてしまったもの、今ここで語る存在と事実が一致しないからこそ、両者の間に分離不可能な分割があるからこそ、「語り」が存在することができるということである。「語り」は、不可能性をとおしてのみ語る力が生起することを語るからこそ、それの権威は、言葉と事実、記憶と出来事の合致に由来するのではなく、語りえないものと語りうるもの、語りの外部と内部のあいだの想起不可能なつながりに由来するのである。だから、私たちの権威は、語ることができないということの名においてのみ語ることができるということにある。「語り」が保証するのは、アーカイブに保存されている言表されたものの真理についてではない。「語り」が保証するのは、自身の保存不可能性、自身がアーカイブの外部にいること、すなわち、言葉の存在として、自分が記憶からも忘却からも不可避的に逃れ出る存在であることについてである。

最後に、「早川氏インタビューVol.1」でも引用した、橋本拓也氏の発言に戻ることにしよう。

「なくなるときはなくなる。でも、なくなろうとなくならまいと、おれは終わりが来る日まで、完ぺきな演技をここでやっていく。それが表現者としての自分で、最後の最後までぶれない自分を表現し続けていく。…おれは、表現する過程で、キッドにかかわる身近な人たち、お客さんたちの存在に気付く。彼らは、ここが無くなることに対して、自分よりも思いを強く感じていることに気付かされることがある。彼らがもとめているのは、キッドが無くなったとしても、そのことの続きが見たいと思っている。そのこと思いが伝わってくる。だから、形が変わったにせよ、ここでやってきたことと、ここで築いてきたこと、ここで得たこと、ここで確信したものは消えないんだろう。目に見えない物事は、信頼とか、築いてきたものは、この短い期間でもちゃんとあったし、それはこれからも続いていくだろう。そのことを日々感じている。」

橋本拓也氏の「続いていくものを表現者たちは創設する」というテーゼは、表現者たちの作品は時を超えて永続し残るものであるという単純な意味に解してはならない。そうではなく、そのテーゼが意味するのは、表現としての言葉はそのつど「続いているもの」の位置にあるものだということであり、このような仕方で語ることのできるものだということである。表現者たち―語り部たち―は言葉を「続いているもの」として創設する。話す可能性、あるいは不可能性の後に「続いていくもの」として創設するのである。

「やり残したことは続けていきたい」

 

追伸

この論考とおして私は、私たちが試みているプロジェクトの方法論を提示しようとしていたのだが、それは、この論考において、いわば「私たちの側」から出発し、歩まれてきた道が、ちょうど反対側からやってきたもうひとつの論考―それは『無言館について』(by S.Kawano 近日掲載予定)と名付けられていた―が最終的に到達した地点と重なりあうことに気づいたときに、ようやく明確になったように思う。果たしてあの論考は何を言っていたのだろうか。それは結局、「宙づりにされた」死者を語ることの非-場所、すべてに中立的な物語の不可能性について言った(あるいは「言わなかった」)だけだったのだろうか。いやむしろ、この論考は、「言葉」を発するときに誰もが陥ってしまうあの袋小路を発見したこと、まさにそのことに最大の価値があるというべきなのだ。それは「私」というたびに、そのつど排除されてしまう「語り」の断片である。「何かを聞き取った時点で何か別の物語を捨象していることを常に留保しておきたい」。この「聞き取らせるもの」と、それがそのとき開くと同時に閉じてしまう「別の物語」との関係とは、先の論考における、語りうるものと語りえないもの、つまりは、語ることの可能性と、その中の不可能性の間の関係と相似である。そしてそこから、まさに話すことの可能性そのもののなかにあって語ることの不可能性を証示するものとしての「語り部」が打ち建てられたのであった。

ここにおいて、私たちは自分の足場を据え、「別の物語」という中身のない中身を掬いとり続けるのだ(おそらく「別の物語」とは、掬いとられるものから常に外に出ていく、つまり、「外への運動」としてしか定義されないだろう)。 だから、「陰に隠れた小さな劇団」が、私たちにやるべき仕事を提供することをやめないだろうというのは明らかである。私たちの唯一の実践可能な方途は、すべてを納得してしまうもののように、あまりにも拙速に理解しようとするのでもなく、安直に「いい閉幕」にむけたストーリーを作ってしまうもののように理解を拒否するのでもなく、その隔たりのもとに、あいまいさのもとに、とどまり続けていることなのである。(この続きはあなたに)

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presented by 気配屋<終演するモノクロ喜怒哀楽project>チーム

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