館長窪島誠一郎氏インタビューVol.4

投稿日:

20160902 R.Yoshino

「館長窪島誠一郎氏インタビューVol.3」より続く

「キッド・アイラック・ホールは心肺停止なの」

今も館長を務める窪島誠一郎氏が自ら決断したキッド・アイラック・アート・ホールの閉館。開業以来半世紀以上に渡って受け継がれてきた炎が、途絶えようとしている。

「なんでキッド・アイラックが経済苦にのたうちまわるかというと、キャパシティがね、60人くらいしか入らないから。でも、経済的に成り立たないからこそ生まれたのが、あの空間なんですよ。商いとして成立していてはあの魅力は出ないですね」

52年間の歴史の中で、キッドは幾度となく小さな拡張、改修、移転を繰り返している。それでも、大きくて煌びやかな「ハレ舞台」を作ろうとは決してしない。2002年に最後の移転が行われ、コンクリート打放しの5階建てビルが新築されても、やはりキッドは、明大前に流れている現在という時間にポッカリと空いた穴のようにして存在している。採算が取れなかろうが、時代に取り残されようが、窪島氏はキッドにしか提供できない舞台を守り続けてきた。

閉館の大きな理由は経済的なものであるが、閉業を決める直接のきっかけとなったのは窪島氏の病気であった。2015年の年末に倒れ、一命はとりとめたものの、翌年の2月に閉業を決意、現在チーフを務める早川誠司氏にもすぐにその意向を伝えたという。

「救急車がすぐに呼ばれたということもあって、あと10分遅れたらダメだった、というところで助かったんです。あのまま死ねば、夢想家窪島誠一郎のまま死んでいけた。残された人は大変だけれどね。ただ、私は一回死んだな、と思ったんですよ。時代に流されたのか自分で生きたのかわからない人生を歩んで、もうそこそこ長く生きたと。というわけで、助かって戻ってきたらもうロスタイム感覚ですね。僕が生きているうちに、キッドを閉じちゃった方が良いかな、って」

この言葉は、決して諦観からくるものではないだろう。キッドの歴史の重みを誰よりも感じているのは窪島氏であるはずだ。現に窪島氏は、資金的な問題さえなければ、キッドを残したいという。そして、キッド・アイラック・アート・ホールの終演が決まった今でも、窪島氏は炎を継ぐことをやめようとしない。

「試合は終わって、残りのロスタイムが始まったと。これからは、キッド・アイラック・早川ですよ。ロスタイムの間は彼を手伝いたいと思うんです。彼がキッド・アイラック的なものを学んだとすれば、それを伝えるということが残ってると思うんですよ。絶望感があんまりないのは、彼が、動くキッド・アイラック・ホールというか、そういうものになってくれると思うからなんですね」

――窪島氏のインタビューの様子を4回に渡って記録した。ここで紹介したのはダイアローグのごく一部に過ぎないが、キッドについて「語られた」ことと「語られなかった」ことの双方を断片的に救い出すことを試みたつもりである。窪島氏と早川氏、そしてキッドを愛するすべての人々と同様に、我々も「キッド・アイラック的なもの」の断片を伝え続ける。それが、3時間に渡るインタビューを通して窪島氏が我々に継いだ種火であるように思う。

「キッド・アイラックの終演だけれど、始まりのように思えてならないんだよね」

#09 館長窪島誠一郎氏インタビューVol.3< >#11 「キッドプロジェクト」はキッドの外へ―Hors-d’oeuvre 

 

presented by 気配屋<終演するモノクロ喜怒哀楽project>チーム

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