#15 橋本拓也さんインタビューVol.1 ―序・「アトリエ」の木こり―

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20161104 S. Kawano

「アトリエ」へと続く裏口に案内されて、私は息を呑んだ。屋根こそあれど吹きさらし同然の裏口に、動物や人物の木彫がいくつも無造作に並べられている。その厳めしい日本家屋は相当古いに違いなかったが、これまでの住人や客人の気配が年老いた木造建築を若々しく清めていた。人のみならず、ここで生命を吹き込まれた作品たちの気配も生き生きと息づいている。裏口から中に上がると、埃っぽくて豊かで保守的な匂いがした。冷房がつけられていないのもむしろ閑雅だろうかと思った。2016年8月29日の昼下がり、残暑はまだ厳しい。

そのまま「アトリエ」に通されると、広々とした部屋の一辺で、等身大の人物彫刻が群を成している。天井は高く、壁の上の方に棚がぐるりと据え付けられ、そこに小ぶりの木彫がいくつも収められている。床にも沢山の棚が並んでいた。彫刻の作品集や画集が詰め込まれた本棚、小さな抽斗のたくさんついた飴色の道具入れ。

彼は部屋の隅から椅子をいくつか引っ張ってきて、我々に勧めた。鮮やかな、というよりスポーティーな軽装をして、小粋なキャップをかぶっている。このあとダンスレッスンがあるんでね、と彼は言った。無駄なく鍛えられた体つきをしているのに似合わず、白い髭を長く生やしている。電車に乗っていると優先席を譲られるというのが、彼の鉄板のジョークのひとつである。

この男性のことを橋本さん、と私は呼ぶ。その肩書を説明するのは難しい。こんな「アトリエ」に住んでいるとはいっても、木彫一筋の芸術家ではない。17歳のときからダンスを始めた。エンターテイメント集団THE CONVOYのメンバーとなり、芝居や歌などをトータルに体得した。バンドもやれば芝居もすれば演出も手掛ける。親の「アトリエ」を継いで彫刻をやるようになったのはごく最近である。

「そんな49歳です」と橋本さんは言った。改めて経歴を聞いても、やはり彼が何者なのかよく分からない。私が橋本さんを最初に知ったのは、1年ほど前にキッド・アイラックで行われた彫刻展のチラシを見たときだった。白い髭をはやして帽子をかぶった彼の顔写真を見て、「なんだか森の木こりみたいですね」と言って笑われたのを覚えている。彫刻刀よりも斧のほうが似合う面立ちだと思った。その印象は今でもあまり変わっていない。

橋本さんは、キッド・アイラックを4年ほど前から使っているという。橋本さんのライブの搬入を、キッドのチーフである早川さんが偶然手伝うことになり、そのとき早川さんに渡したCDがきっかけになった。

「その1曲目がかかってちょっとして、早川くんは『一緒にやりたい』と言ってくれたらしい。当時のキッド・アイラックは変な奴ばかりが催しをやっていて、イヤだなと思ったけど、ひとまず事務所に行ってみた。すると早川くんは『僕には夢があるんです』という。『”1カ月公演”をやりませんか』って言われて。はぁ?って言ったけど、まぁ確かに僕も、小さな劇場で長くやるというのには興味があった。それで、4年前の8月に初めてキッドでライブをやった。自分のライブ観やスタイルが変わっていくようで、面白いと思った。キッド・アイラックは、劇場としてはヘレン・ケラーみたいな場所ですからね。狭い、客は入らない、立地は悪い、変人しか集まらない。でも、カフェがあり、ギャラリーがあり、ホールがあり、やりようによっては超面白いことができる箱なんですよ」

それでキッドに足しげく通うようになりました、と橋本さんは言った。確かに彼は本当に頻繁に姿を見せる。あるときは事務所で早川さんや工藤さんと話しこみ、あるときはカフェでブレンドを飲みながら私に向かって「おっ東大生!」とがなりたて、あるときは楽屋でひとりで高らかに歌っているのが聞こえてくる。ラッキー・ストライクを空気のように吸って、その煙を空間にくゆらせている。ライブに彫刻展にダンス教室にと、キッド・アイラックの特性を熟知して手広くイヴェントを催す。

それでも彼は、半世紀にわたるキッドの歴史に比すれば新参者である。

《橋本さんインタビューVol.2 ―お前ら追い出してやっからな―へ続く》

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presented by 気配屋<終演するモノクロ喜怒哀楽project>チーム

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