三題噺 #003

投稿日:
20160717 S. Kawano

 

深々とお辞儀をして顔を上げると、客席の暗がりにカッコウの集団が紛れている。聴衆の顔ぶれを確かめるつもりなどないが、おのずと目についてしまう。来る日も来る日もけたたましい鳴き声をあげて練習を邪魔するカッコウの群れである。五線譜の上に幾重にもつらなる記号を精確に音へと移しとり、自分の音に耳を澄ましては改善を繰りかえしているあいだ、カッコウたちは近所の電線のあちこちで羽根を休め、ノイズのような嗄れ声を延々とあげ続ける。

それでいて演奏を聞きにくるというのだから解せない。彼らは今宵は沈黙して紳士的な聴衆を演じている。

セロとピアノの二重奏。椅子に座ると気が昂ぶり、神経が研ぎ澄まされる。カッコウたちの姿を振り払うように強く瞑目して、ピアノが弾きだすのを待つ。しばらくの静寂のあと、ピアニストが小さく息を吸う音がして、軽快で端正なリズムを刻み始める。

自分が弾き始める箇所の直前で目を見開き、指先に力をこめる。細心の注意と明朗な解放感を以って大きな楽器から高らかな音を導出すると、精密に統御された旋律が伴奏の上を駆ける。最初の主題を過不足なく奏でたことに満足して、ゆっくりと譜面台に目を落とす。

すると、楽譜のまったく異なるページが開かれていることに気づいて唖然とする。まさかと思って何度か譜面を目でたどるがやはり違っている。

譜めくりの者に合図して直させようと傍らを見やったが、その姿はない。譜めくりが座っているはずの椅子の背にカッコウが一羽止まっている。俄かに信じがたいが、弾くのを止めるわけにはいかない。暗譜しきっていない曲の先を脳裏でたどりながら演奏を続ける。しかし弾き続けるうちに、どのフレーズを何度繰り返したのか混乱し始める。

次に何を弾けばいいのか分からなくなって咄嗟に楽譜を見たとき、どこかから「カッコウ」と声がした。剽軽な鳴き声に尚更演奏の調子が乱される。譜めくりのカッコウが鳴いたのかと思ってそちらを睨めつけたとき、「カッコウ」とまた鳴き声がしたが、カッコウはどうやら口を開いていない。カッコウを見ているとまた何を弾けばいいのか分からなくなり、譜面に再度目を落とすと、やはり「カッコウ」と声がする。客席のカッコウが鳴いているのかと思ったが、かなり近くから音は聞こえている。程なくして自分のセロが「カッコウ」と音を奏でていることに気付く。譜面にそう書かれているのである。カッコウ、カッコウ、と様々な音程で繰り返される。

カッコウ、カッコウ、と調性もリズムもでたらめな音の連鎖がホールを満たす。 あまりの滑稽さに赤面しながらも、譜面から目を離すと何も弾けず、譜面に目を落とすとカッコウと弾くしかない。譜めくりのカッコウは時折無造作に羽ばたいて、くちばしで器用にページを捲ったり戻したりする。五線譜に無作為に並ぶ音符の黒い粒が、電線にとまったカッコウたちの姿に重複して見える。カッコウ、カッコウ、とひたむきな練習を嘲弄する。

笑い声のようなセロの音は、不可解なことにピアノの伴奏とこの上なく調和している。恐らく本来の旋律以上に洗練されたハーモニーを創出し、和声的には明らかに相応しくない組み合わせが驚異の美しさを紡ぎ出している。

悪夢のような演奏が終わるまでどうすることもできなかった。苦笑いを浮かべて立ち上がり、会釈のような曖昧な礼をすると、どういうわけか割れんばかりの喝采に包まれる。予想外の反応に思わずピアニストの方を見やると、ピアニストは何事もなかったかのように笑みを見せている。

アンコールの手拍子が響き渡り、もう一度椅子に腰かけると、カッコウの姿が無い。傍らにはネクタイを締めた譜めくりが背筋を伸ばして座っている。楽譜は確かに間違いなく正しいページが開かれているが、整然と並んだ音符の羅列を見ても、何が書いてあるのか全く読み取ることができない。

電線 – N
栞 – Y
SEMBLANCE – X

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