三題噺 #008

投稿日:

S. Kawano

仄暗い店内には磨きあげられたグラスが何列にも渡って吊り下げられ、表面には白い光が規則正しくちらついている。カウンターに座る女はふくよかな脚を小さくぶらつかせ、飴色のテーブルに気だるげに頬杖をついて、うっとりとバーテンダーを眺めている。

「ここなちゃんのご注文はなんですか」

バーテンダーは長すぎる白いシャツの袖をまくってシェイカーを握り、素早く上下させて店内の静寂を刻む。振れる手先を追って、女の目玉はくるくると動く。桃のような柔らかく丸い頬が上気し、おかっぱの形に切り揃えられた黒い頭髪が汗に濡れて顔の周りにしなだれている。

冷やされたグラスを女の眼前に置いて、バーテンダーは白い液体を勢いよく注ぎこむ。一気に迸った液体はグラスの縁をぎりぎりまで満たし、最後の数滴がその表面をぷくりと盛り上げる。白濁して震える液面に、照明のつくりだす陰影がモノクロームのフィルムみたいに映りこむ。

女は甘えた子猫のような満面の笑みを見せてグラスに手を伸ばす。丸っこいピンクの指先がグラスの柄に触れる。

「こぼさないように、きをつけて」

女は微笑みを絶やさぬまま、勢いをつけてグラスを床に叩き落とした。

薄いガラスは高い音を立てて砕け散り、液体は熟れすぎた果物のような臭気を振りまきながら、黒々とした床に白い筋を刻み込んでいく。

バーテンダーは泣き出しそうな顔で肩を震わせながら女を眺めている。呆けたその視線の先で、女は見せつけるように背の高いスツールからひょいと飛び降り、ゴム毬のように勢いをつけて、砕けたガラスの上を危なっかしげに跳ねまわる。バーテンダーは物音を立てず、軽快な破壊音だけが静寂にひびを入れる。おかっぱの髪がちらちらと揺れ、意地の悪い目線が時折バーテンダーを射る。バーテンダーは顔に両手を当ててしくしくと涙を流し始める。

そのとき背後の扉が開き、長身の人影が闖入する。

「ここなちゃん、おうちにかえる時間よ」

女は可愛らしく「はぁい」と言って、よちよちと人影に駆け寄っていく。

碑銘
漲る
ARGUE
PREVIOUS / NEXT
SANDAI TOP / KEHAI-YA TOP

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です